無駄なSOLUTION

生産的に無駄を生産する

高すぎる向上心は昼間のビールと隣り合わせである

自分で言うのもなんだが、向上心が高い方だ。向上心が高いがゆえに、常に何かしらの目標を持っている。過去にも高い目標を掲げすぎ、挫折(というか逃亡)するという失敗を幾度となく繰り返してきた。

 

そんな僕が、つい先日論文を書き終わり、大学院の課程を終えた。念願の卒業だ。卒業というと人は当たり前のことのように思うだろうが、あなどることなかれ、理系院生にとってそれは遥か彼方に光る希望の星であり、まともに指導しないくせに態度だけ偉そうな教授、完全フレックスタイムの中で自らを律する困難、性欲など、ふりかかってくる様々なチャレンジの中でいかにSolutionを見出せるかという苦難の行軍なのである。

共に走る中で、「俺のことは置いて先に行け」と言わんばかりに自らリタイアした同志も、残念ながら2名ほどいる。彼らがいま何をしているのか、知るものはいない。とにかく健やかに生きていてくれるといいのだけれど。

 

つまるところ、卒業というのは研究室という閉ざされた空間から一気に視界が開ける臨界点なのだ。そして理系院生の誰もが心待ちにしているのが、卒業後に就職まで許された最後の晩餐、春休みだ。

 

しかし解せないことに、夢にまで待ったこの時期、なぜだか胸中穏やかでないのである。年末の立て込んだ時期には論文を書くという重荷が消え去ってさぞかし足取り軽く遊びまわる自分を想像しもしたのだが、あろうことか就職に備えて事前知識の勉強計画なぞ立てている自分がいる。とまあここまでは予想内である。頑張り屋さんな自分がその程度のことをするのはさほど驚きではない。ならばこの胸のざわつきの正体はなんなのか。考えてみる気にもなるではないか。

 

最近、朝は5時に起きるのを習慣としている。スターバックスの社長は3時半に起きるらしいから、スターバックスの社長レベルの成功を夢見ている僕としては負けてられない。しかし、今日は11時に起きた。起きれなかったわけではない。2度寝である。

 

1日のスタートが予定より6時間遅れ、さらには翌日の早起きに備えて9時には布団に入る必要がある。すると使える時間は驚異の10時間しかない。僕の勉強計画は中断を余儀なくされた。やる気がなくなってしまって勉強どころではない。そこで今日は、少し腰を落ち着けて、この胸のざわつきをじっくりと見つめてみることにしたのである。

 

時に自問自答し、時にTwitterで意識高い系のツイートを読み流し、時に罪悪感からちょっとだけ勉強し、僕は考えた。すると半ば分かり切っていた答えが、目を背けようとして逃げ回っていた答えが、目の前に鎮座していた。

 

やることがないのである。

 

やることがない。やるべきことも、やりたいこともないのだ。

 

朝起きる。習慣としている語学の勉強をする。この時点でやることは尽きている。それでも有意義な時間を過ごさねばと、カフェに行って読書や勉強をする。夜にはこちらも習慣である筋トレをする。まるで自分磨きサイボーグのごとく、決まりきったルーティーンで、なんら生産活動をせずに過ごしてしまっている。決して悪い過ごし方ではないと思う。けれども、自由という大海原の中で、自分にはこうもやることがないのかと呆然としてしまう。見方によっては贅沢な悩みなのかも知れない。自由な時間が欲しくてたまらない人は世間にごまんといるだろうから。でも本当の自由を与えられたときに、それを上手く使いこなせる人はどれだけいるのだろうか。

 

かくして僕は、昼間からビールを飲むのである。自由ってのは、僕らがそう信じるように、きっといいものだ。けど、僕らが考えるよりもそれはずっと不孤独で、不安で、頼りないものなのかも知れない。自由を求めるときに、僕らは同時に自分に問わなければいけないのだと思う。自由を泳ぎ切る力が自分にはあるか?もしその問いに勇気をもってYesということができないのなら、不自由が僕らを守ってくれているということだ。

 

今の僕には、自由を自在に泳ぎ回る力がない。だから放り出されれば溺れそうになる。けどいつかは、手に入れたい。そのために今は狭苦しい不自由の中で、学ぼう。

 

考えた甲斐なく、やっぱりやることはないから、僕はきっと明日も勉強するだろう。

そういえば、母親にもらったバレンタインのお返しをまだしていなかった。やるべきこと、一つみっけ。